一人称の達人、志水辰夫。

一人称、主人公の視点から語る小説がある。これは主人公の考え方や感情を伝えやすく、読者と同じ視点で物語を進めて感情移入がしやすい利点があると思う。しかし、同時に主人公が複雑な想い、いわゆる「万感、胸につきる」になった時をどう表現するか。という問題を抱え込む。ここが作家の腕の、表現力の見せ所だと思うし、そこでその作家の実力が測れると思っている。
この物差しで秀逸なのが冒険小説家として81年にデビューした志水辰夫。すでにデビュー作「飢えて狼」からこの難問をクリアしている作家と考える。この作品の主人公は三浦半島でマリーナをいとなむ男、渋谷。彼が北方領土をめぐる陰謀に巻き込まれていく物語だが、話の途中で、太平洋をヨットで横断する夢のために、ボートハウスを手伝ってくれていた青年、北原を失う。彼は何も知らずボートハウスごと焼き殺されていたのだ。
そして、当局の監視の中で、遺骨を引き取りにきた父親を駅で見送るシーンに。渋谷はこの時に、怒り・悲しみ・後悔・喪失感・罪悪感など様々な感情が交錯する。それを志水辰夫はラストの一文で、その全てを表現した。

 語るべきことは何もなかった。落ち着いたら墓参に行かせてもらうと言い、わたしは自分の手元に三十分しか居つかなかった五百万円の金を彼に押しつけた。
「恥ずかしいがこれだけのことしかできないんです。ほかになにもしてあげられない」
 北原は生命保険を掛けていなかった。マリーナの社員扱いで加入していた労災保険があるだけ。あと二百万円を越える本人の預金があるはずだが、通帳や印鑑が焼失したため、まだ引き出せなかった。ついに太平洋を越すことなく終わってしまった北原正幸の見果てぬ夢が込められた金だ。しかし父親がその金を手にするときは相続税が課せられる。
 アナウンスが出発を告げている。
 わたしは後も見ずにホームへ引き返した。船本が指差すので振り返ると、北原の父親がよろめきながらデッキまで来ていた。
 遺骨を抱え、金の入った封筒を握りしめたままだ。
 顔が紅潮し、右手がぶるぶるとふるえていた。彼は重いものを背負うかのような恰好でわたしに頭を下げた。そして眼からぽろぽろと涙をこぼした。
 ベルが鳴る。
 マリーナから来た二人が横に並んだ。
「渋谷さん」と彼は叫んだ。「わしは口惜しいです」
 わたしも口惜しい。
 老人をのけぞらせてドアが閉まった。
 周囲を山に囲まれた郷里へ彼らは帰っていった。海の風が吹くこともないと聞いている。

太平洋横断を夢みていた青年の墓には、海の風が吹くことはない。永遠に夢はかなわない、かなえることもできなくなってしまった。それを指摘することで万感を表現し、底知れぬ悲しみと怒りを抑えている感じもでている。センチメンタリズム一歩手前で止まるのがハードボイルドだと教えられる。