「長崎から目指せJ」新体制発表。チーム名は「V・ファーレン長崎」に決定。

SH772005-03-14

反射的に「V!V!V!ビクトリ〜♪」と思い出す、あの頃のそんなアニメを見ていた世代でございます。「サインはV」は思い出さない世代でもございます。でもトップ画像は大英帝国海軍ネルソン提督の旗艦ヴィクトリー号なのでございます。そんなことはともかくニッカン九州版3月14日付より。
http://www.nikkan-kyusyu.com/view/kl_1110808203.htm

●新チーム名は「V・ファーレン長崎」
有明SCが13日、長崎・国見町内で会見を行い、新チーム名と新監督を発表した。チーム名は、長崎県内で公募した387通の中から「V(ヴィ)・ファーレン長崎」に決定した。また、新監督には岩本文昭コーチ(36)が昇格した。
岩本新監督の口からは早くもV宣言だ。「優勝を狙えるように頑張りたい。上位2チームは、JFL入れ替え戦があるし、最低でも2位以内。2年以内にJFLに参入したい」。長崎県を揚げての「Jプロジェクト」とあって菊田忠典・長崎プロサッカークラブ推進委員も「4、5年以内にJリーグに参画できれば」と鼻息を荒くした。
●高木氏はテクニカルアドバイザー
当初、新チームの監督を要請されていた元日本代表、高木琢也氏(37)は、テクニカルアドバイザーに就任した。オファーを受けた時点で、すでに今季のサッカー関係の仕事が入っており、常時、指導にあたれないことを理由に監督を辞退。〝非常勤〟でチームをサポートすることになった。なお、岩本監督以下、チームスタッフは植木総司コーチ(33)原田武男コーチ兼選手(33)内田利広コーチ兼選手(32)で臨む。

既報どおり高木琢也氏は臨時コーチ就任が決まり、有明SCの指導陣と、国見高校卒業で元アビスパ福岡MF原田、元セレッソ大阪名古屋グランパスエイトのMF内田がコーチ兼任で選手として引き続きチームに加わることに。記事では、チーム名の由来も紹介されています。

●「勝利、平和」への船出
長崎県内で一般公募した中から選ばれた。387通の中から「V(ヴィ)・ファーレン長崎」に決定。ポルトガル語の「VITORIA(ヴィトーリア=勝利)」オランダ語の「VREDE(ブレーダ=平和)」「VAREN(ファーレン=航海)」の3つの言葉を使った造語で、日本最初の国際貿易港、長崎から、平和の発進、県民の夢と希望を乗せた勝利への航海を意味する。

長崎をイメージさせる、平和と航海に勝利を組み合わせて「V・ファーレン長崎」ですか。Vの字をアルファベット表記したことで、デザインにも特徴を持たせられますし、なにより「ヴィクトリーのV」という意味を自然に想起させられるので、イキオイがあります。そしてビジネス面でもスポンサーの共感を得られ易そうなチーム名だと思います。
V・ファーレン初代監督、岩本文昭氏は現有明SCのコーチです。有明SCの現監督の植木総司氏はV・ファーレンのコーチ就任が決まっています。岩本・植木両氏の有明SCでの指導者コンビについては長崎新聞の連載コラムで触れられています。「有明SCの軌跡」より。
http://www.nagasaki-np.co.jp/sports/soccer/2005/kikaku2/03.html

●二人三脚 昇格支えた指導陣
急激な変化を経て、2チームが1つのチームとなった有明SC。現場をまとめたのは植木監督と岩本コーチだった。ともに選手兼任。国見高で2年後輩にあたる植木を、岩本がサポートした。
「勝たせないといけない。勝たないと合併した意味がない」。監督、コーチにかかる重圧は大きかった。選手全員が仕事を持つ身。毎試合ベストメンバーがそろうわけではない。そろわなければ、監督、コーチ自ら出場してチームを支えた。
二人三脚の指導体制。岩本コーチは「植木しかいないと推薦して、監督になってもらった。1年間、あいつが一番きつかったはず」。一方、植木監督は「岩本さんや林田部長、選手の中で一番年配の山本さんが率先して動いてくれた。私が大変と言われるが、そうでもなかった」と振り返る。常に冷静な植木監督と熱血タイプの岩本コーチ。互いを補い合い、チームをいい方向へ導いた。

また岩本氏は、小嶺監督率いる国見高校サッカー部がインターハイで優勝し、初めて日本一の称号を勝ち取ったときのゲームキャプテンでした。当時のことを振り返る記事も長崎新聞にて。岩本氏のプロフィールの紹介されています。
http://www.nagasaki-np.co.jp/sports/2003/yume/05/08.html

●忘れられない監督の涙
1986年の山口インターハイ。国見は決勝で中京(愛知)に3―2と逆転勝ちし、初の日本一に輝いた。以後、インターハイ、高校選手権合わせて8度の頂点に立つことになる国見のスタートライン。ゲームキャプテンだった岩本は「部員全員が小嶺忠敏監督(現総監督)の巨体を胴上げした。その時に監督がこぼした一粒の涙は忘れられない」と言う。
数多くの得点を挙げたが、山口インターハイ初戦の前橋商(群馬)戦での得点が印象深い。「内臓が悪く、その時も体調を崩していたが、監督は自分を起用してくれた。0―0から残り2分で自分が決めて勝利。試合後、監督がすれ違う時に無言で手をぐっと握った。今からやるぞという気持ちを感じた」。それは、国見を初の頂点に導き始めるゴールだった。
●いわもと・ふみあき:香焼小3年でサッカーを始め、国見高3年時に山口インターハイで全国制覇。全国高校選手権で初出場で準優勝、全日本高校選抜に選ばれた。駒沢大2年時に全日本大学選抜。現在、長崎銀行本店営業部勤務。

小嶺先生を全国優勝ではじめて胴上げした時のキャプテンが、ふたたび小嶺先生を支えるべくV・ファーレンでの指揮をとることに。運命的とも思えますし、国見の小嶺監督や鹿実の松澤監督が地元サッカー界やかつての教え子に与える影響の大きさから、欧米とは違う日本サッカー界独特の繋がりを感じられますね。さて、元記事に戻って。

4月からは、県とサッカー協会が中心となって、J参戦の必須条件でもある運営会社の法人化など「準備委員会」を設置。県内の有力企業数社と詰めの段階であるスポンサーが決まり次第、ユニホーム、球団旗も決定する。

県内有力企業との交渉も詰めの段階、運営法人設立も本格的に動くことになりそうです。ユニやエンブレムの発表も待ち遠しくなります。

県サッカー協会会長兼長崎プロサッカークラブ推進委員長、小嶺忠敏・国見高サッカー部総監督は「J参戦はなかなか簡単なことではない」と、この日の練習後、ミーティングでさっそく選手にゲキを飛ばした。今後は、ホームグラウンドは特定せず、諫早、島原、佐世保長崎市など県内各地で試合を行い、ファンの獲得を目指す。

県内各地で試合を予定ですか。ザスパ草津も伊勢崎や太田といった草津や前橋と離れた地域で試合を行なって多くの観客が来てくれましたから、良いことだと思えます。九州長崎も熱くなってきました。がんばれ、V・ファーレン長崎