小説の書き出しの話。

SH772004-04-05

推理小説の書き出しで名文と云えば、ウィリアム・アイリッシュ「幻の女」の最初の一文だと思う。

夜は若く、彼も若かった。が、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。

ここまでの表現力でなくても、やはり小説の導入部は、これから始まる物語の雰囲気を伝えるものであったり、一気に作品世界へ連れて行ってくれるようなものであって欲しいと思う。読者の注意を、意識を、思考を意図する方向へ、書き出しの文章をもって向けさせる、映像や音楽なしに。ここから紹介するのは、それが秀逸と思う推理小説家、冒険小説家たち。
まず、作品の雰囲気を伝える、「こういうジャンルの話ですよ」と一発で判らせてくれたのが、これ。

くそったれな朝がきた。
昨夜の倦怠を、まだどこかで引きずっているような、人々の顔。
ごった返す地下ターミナル。
地上ではイエローキャブの喧騒。世紀末都市の、くそったれな一日が、また始まろうとしている。
――火浦功「死に急ぐ奴らの街」

誤解しようのないダークフューチャーでハードボイルドな出だし。ここまで直球なのも珍しい。未来の舞台ではなく、過去に飛ばされるのもまた小説。冒頭でスンナリ過去に連れて行かれたのは、まずこの作品。

色街には、通夜の燈がございます。
今ではもう跡形もなく消え果てしまいましたが、大正の末のころ、瀬戸内の狭い海に突き出した小さな湊町に、まあ当時でさえ、どことなく寂れた色里がございまして名を常夜坂と申しました。
――連城三紀彦「藤の香」

語り口からして寂れている。こういうのがやたらにウマイ連城三紀彦。一気に大正時代の電気のない、はかなくゆらめく灯りの街へ。同じ瀬戸内に連れて行かれるけれど、独特の迫力を感じるのがこちら。

備中笠岡から南へ七里、瀬戸内海のほぼなかほど、そこにはちょうど岡山県広島県香川県の、三つの県の境にあたっているが、そこに周囲二里ばかりの小島があり、その名を獄門島とよぶ。
――横溝正史「獄門島

いきなり獄門ですよ獄門。インパクトのある名前と「事件の舞台は獄門島だ。そう思え」と云わんばかりのパワー。金田一シリーズの、これらの目を引くタイトルは効果的な舞台装置なのだと思う。個人的な極めつけが以下の作品。

東京は雪だった。この大都市に降るそれは、不思議なことにほかのどの街に降る雪とも違って見える。ニューヨークとパリは冷たすぎるみぞれ混じりの雪。ロンドンは街の灰色の方が濃く、ベルファストの吹雪の夜は天が悲鳴を上げて唸り、ダブリンはただ寒々として雪の白を映す街の灯もない。
――高村薫リヴィエラを撃て」

「世界を舞台にした物語のはじまり」という雰囲気と、主人公の思考と経験を推し量る材料がなげられている。デビュー作はその重厚な語り口が読みづらさとなってしまった高村薫だが、それを生かす作品では充分に輝く。
世界観、舞台の雰囲気を伝えるのとは別に、作品のテーマをいきなり冒頭にぶつけて、読者の興味をひく手法もある。

たとえ何十年か後に老いさばらえてこの脳裏からどれほどの記憶が消え失せようと、山猫がやってきたあの夜のことだけは忘れはすまい。世間知らずと嗤うなら嗤ってくれ。山猫のような男をこの眼で見るのははじめてだったし、あんな人物が存在することさえおれには信じられなかったのだ。
――船戸与一「山猫の夏」

ブラジルのある小さな町に現れた謎の日本人「山猫」を中心に展開する物語。冒頭でその謎の男に焦点を当て、読者の注意を惹き情報処理を助けている。また、こういう作品も。

老人は言った。
「そうだよ。わたしはゼロを見たことがあるんだ。ベルリンで、ゼロを間近に見たんだ」
一九六四年七月、西ドイツのニューブルクリンク自動車レース場に近いマイネンの町だった。ホテルとは名ばかりの旅籠のロビーで、そのドイツ人は浅野敏彦に繰り返したのだった。
「わたしはゼロを見たことがあるんだ。ベルリンへ飛んできたときに見たんだ」
――佐々木譲「ベルリン飛行指令」

欧州戦線にその姿があるはずがない零式艦上戦闘機、通称「ゼロ戦」。フィクションともノンフィクションともつかぬこの謎にせまる佐々木譲「第二次大戦三部作」のオープニングである。「山猫の夏」同様に読者の興味を喚起する謎を提示し、作品に入り込ませる。
出だしが面白ければ外れなし。あくまで自分の基準だけれど。