92年時の中心選手たちと、彼らのその後。(ディフェンス編)

5.レジー・ホワイト(DE92・84年D1巡:テネシー大)
ご存知NFL最高のDLにして歴代1位のサック王。PHI強力ディフェンスの中心的存在で、92年では14サックを記録し、トータルで出場121ゲームで124サック。サック数が出場試合数を上回るというとんでもない記録を残していた。またプレイオフNO戦ではとどめとも云うべきセーフティをきめるなど、さすがの活躍。

●それからのレジー・・・GBでSBリング獲得! GB復活の立役者に。
93年に神様の声に従いGBに移籍。ここでも戦力として、教導的なベテランとして陰日向にチームを支え、96年のSB制覇に多大な貢献を果たす。99年に一旦引退するが、00年にカロライナ・パンサーズで復帰。往年の力こそなかったが、5.5サックを記録し、生涯サック数を198にまで伸ばした。そのパフォーマンスが落ちたとプレーをとやかく指摘する向きもあるが、最晩年のプレーがどうであろうと、レジーの評価と業績が色褪せることはない。

6.セス・ジョイナー(LB59・86年D8巡:テキサス大エルパソ校)
&クライド・シモンズ(DE96・86年D9巡:ウエスタンカロライナ大)
PHIが誇るブリッツァー。86年下位指名コンビはみるみる台頭し、92年時では不動のロスター。この年ジョイナーは6.5サック&4インターセプト、シモンズは19サックと大暴れ。ジョイナーのインターセプトはここぞという場面で出され、ゲームの勝利を決定づけていた。

●それからのパスラッシュコンビ・・・カーディナルズでの奮闘、報われず。
94年に恩師ライアンを慕ってフェニックス・カーディナルズ(現アリゾナ)に移籍。95年までPHOでもディフェンスを支えたが、成績不振でライアンHCは解雇されてしまう。これに伴い96年に二人もチームを離れる。ジョイナーはGBへ。ここでPHI時代には縁遠かったSBに出場することも出来た。98年までここでプレイし引退。一方のシモンズはジャクソンヴィルシンシナティ→シカゴと渡り歩き、いずれのチームでも安定した力をもつベテランとして遇された。

7.エリック・アレン(CB21・88年D2巡:アリゾナ州立大)
 屈指のCBとして名声を打ち立てたアレンは、プロ入り5年目で既にこの評価を得ていた。92年の目立った活躍は、第15週の対WASでの最終プレー、エンドゾーン内でのパスブロックや、プレイオフNO戦でのINTリターンTDなど。

●それからのアレン・・・栄光のキャリア。後輩たちの良き教導役に。
95年にNOに移籍。当時CBとして最高給での招聘だった。98年にオークランド・レイダースへ。以来、DB陣の中心的存在として活躍し、01年で引退。チャールズ・ウッドソンと新旧CBコンビは、OAKの看板の一つであった。プロ生活15年目でもDBで不動のロスターと云うのも凄まじいものであった。

ディフェンスでは他にもMLBバイロンエヴァンス、OLBのウィリアム・トーマス、DBマーク・マクミランなどがいました。

中心選手たちのその後を追跡していくと、皆チームを去ってからも活躍していることがわかり、FA制度導入があったにせよ、もう少しPHIも残留に努めてもよかったのではないか、と思えます。この黄金期のPHIは92−93年のたった2年間で「解散」してしまったようなものです。徐々に進行する世代交代などとは違い、「強い」→「解散」の印象だけが残っているので、「強かった」と振り返ることが多いのかもしれません。行儀がよく、スマートなSFやDALなどと比べれば、あらっぽく豪快なチームでしたが、NFLにまたこんなチームが生まれて欲しいものです。