92年時の中心選手たちと、彼らのその後。(オフェンス編)

1.ランドール・カニンガム(QB12・85年D2巡:ネバダ・ラスベガス大)
アスレチック黒人QBの先駆者。細身ながら全身バネのような肢体から放たれるロングパスは「投げている」と云うよりは、「カタパルトから発射している」と云う形容のほうが似合うほど。パスだけでなくラン(スクランブル)攻撃まで担当する彼は、良くも悪くもPHIのオフェンスの中心であり、その好不調がチームの成績を左右していた。

92年は名TEキース・ジャクソンの移籍などもあって、パス攻撃は苦しんだものの(リーグ21位)、彼個人のレイティングは87.3とまずまず。彼の代名詞たるスクランブルでの獲得ヤードも549ydと相変わらずの走りっぷり。結果的には90年に次ぐ活躍をすることが出来た。

●それからのカニンガム・・・98年に大復活!
この後しばらく負傷・不振がつづいて一時期NFLから離れたこともあったが、98年ミネソタ・ヴァイキングスで大復活。スクランブルは少なくなったものの、パサーとして円熟を迎えた姿がそこにはあった。彼のプレースタイルには賛否両論あったが、ダグ・ウィリアムズやウォーレン・ムーンらと並んで黒人QBに道を開いた(特にアスレチックQBに)選手と云える。

2.ハーシェル・ウォーカー(RB31・92年加入:ジョージア大)
誰もが認める天才RB。しかしSBには縁遠く「悲運の天才」と呼ばれる。92年にPHIに移籍。ラン攻撃まで担当していたカニンガムの負担を減らし、エースRBとして1070ydラッシュと、充分な活躍を果たした。強豪チームに期待の戦力として招聘され、見事に応えた92年は、彼にとって最良の一年に数えることが出来るだろう。

●それからのハーシェル・・・悲運の天才、ついにスーパーボウルに届かず。
PHIでもSBに届かなかったハーシェルは、NYGを経て、かつて自分を追い出したDALに復帰する。しかしこの時DALは既に下降期に入っており、SBリングを手にすることなく、97年シーズンを最後に引退する。キャリア晩年は控えRBとしてはもちろんスペシャルチームにも積極的に参加していた。この献身的なプレー振りからも、彼が真摯なフットボールプレイヤーであったことが窺がえる。

3.フレッド・バーネット(WR86・90年D3巡:アーカンソー州立大)
&カルヴィン・ウィリアムズ(WR89・90年D5巡:パーデュー大)
「WRはユニットで評価されるべき」という言を採用すれば、サンフランシスコ・49ナーズとダラス・カウボーイズのWRコンビにも匹敵する二人であった。92年はバーネットが67キャッチ1083yd、一方のウィリアムズは42キャッチ598ydと活躍。とりわけバーネットはプレイオフニューオリンズ・セインツ戦で、DBのダブルチームを受けながらも、起死回生のロングTDパスレシーブを果たすなど、プレミアWRとして名をあげたシーズンだった。

●それからのWRコンビ・・・バーネットはマリーノのターゲットに。
95年にローズHCの導入したウエストコースト・オフェンスでも、このコンビは順応し、まずまずの成績を残したが、シーズン後にそろって放出されコンビは解散。バーネットはマイアミ・ドルフィンズで引退。ウィリアムズはボルティモア・レイブンズ移籍後、PHIに戻ってキャリアを終了している。

4.キース・バイアース(RB41・86年D1巡:オハイオ州立大)
その体型が記憶に残りやすい? 万能RB。あのダルマさんのような体躯から鋭いラッシングを繰り出し、器用なレシーブをこなす。88年からはレシービングヤードが500〜800ydとレシーバー顔負けのターゲットだった。

●それからのバイアース・・最後はビル・パーセル門下のような活躍。
93年にMIAに、96年にはニューイングランド・ペイトリオッツに移籍して、ここで初のSB出場。対戦チームのグリーンベイ・パッカーズにはPHI時代の僚友だったレジー・ホワイトとキース・ジャクソン、セス・ジョイナーがおり、このような形での再会があるとは92年当時には4人とも想像していなかったろう。

どのチームでも、その器用さが重宝がられたが、98年のニューヨーク・ジェッツでのシーズンを最後に引退。生涯ラン獲得ヤード3109ydに対し、レシーブでは5661ydというのが如何にも彼らしい記録として残っている。

この他にもオフェンスでは控えQBに「ブリガムヤングの問題児」&「85年のシカゴ」のジム・マクマーン、RBには「アンダーシャツは?」ヒース・シャーマン、リターナーには「ハワイアン・スピードスター」ヴァイ・シカヘマなど、まだまだタレントを揃えていました。