CBディオン・サンダース、ボルティモアで現役復帰か?

不世出のアスリート。

http://www.nikkansports.com/ns/sports/nfl/p-sp-tp6-040820-0014.html

●レーベンズ監督、サンダースの復帰歓迎
レーベンズで3年ぶりに現役復帰の可能性が出てきた名CBディオン・サンダース(37)について、レーベンズのビリック監督が大歓迎の意向を示した。「我々は彼を愛している。彼が本気なら仲間になることを歓迎する」。

野球との二刀流選手だったサンダースは01年にレッドスキンズを引退し、野球のプレーからも退いていた。が、高まるNFLでの復帰待望論に応じるように今年から減量トレーニングを再開。レーベンズのLBルイスに復帰の相談を持ちかけていた。今後は具体的な交渉に入り、双方の最終決断が出る。

「プライムタイム」「ネオン・ディオン」と呼ばれた、ディオン・サンダースの現役復帰のニュースが。まだやれるのかな。日本での知名度は低いだろうけれど、とんでもなく高いレベルにあるスーパーアスリートである。主な現役時代の活動に関してはこちらに詳しく。
http://www.major.jp/column/column.php?id=2004022801
http://www.major.jp/column/column.php?id=2004030201

●2つの頂を求めし男たち 〜Vol.2 ディオン・サンダース
1988年のドラフト30巡目でニューヨーク・ヤンキースに指名されたサンダースは、89年メジャーデビュー。14試合に出場、打率.234、2本塁打、7打点に終わるが、広い守備範囲と俊足を活かした走塁技術の高さを見せつける。90年は57試合に出場するが、打率は1割台と低迷。アトランタ・ブレーブスに移籍した91年も54試合に出場、打率は.191と再び1割台に。やはり打力のなさは、さすがの天才にも如何ともしがたかった。

一方、フットボールでは89年のドラフト1巡目(全体5位)でアトランタ・ファルコンズが指名。コーナーバック、ワイドレシーバー、さらにはパントリターナーとして一時代を築くことになる。

メジャーリーグNFL、NBAなどから重ねてドラフトで指名されることは時折あることだが、メジャーとNFLを掛け持ちでプレーしたのはボー・ジャクソンとディオンくらいのものである。メジャーのシリーズ終盤とNFLのシーズン開幕は重なるので、当時ディオンはNFLシーズン全16ゲームのうち前半8試合くらいは欠場、所属するNFLアトランタ・ファルコンズには欠場期間中は契約に基づき罰金を払っていた。周囲からは、指名順位の高さからもどちらかといえばアメフトでの活躍が期待されていたので、シーズン半分をメジャーリーグで棒に振ってしまうことにいらだつファルコンズ・ファンも多かったらしい。「どちらに軸足をおいているのか?」とのメディアの質問には「野球が恋人、アメフトは女房さ」と答えている。良くも悪くも派手好きで目立ちたがり屋であった。年鑑の趣味欄に「宝石集め」とか書いてあった。もちろんこの人だけ。)メジャーとNFLの両方でアトランタに在籍していた時には、NFL合流直前の試合でホームランを放ち、チームメイトに別れを告げ、数日後にファルコンズインターセプトリターンでTDを挙げている。これは「メジャーとNFLで同じ週に得点を挙げた唯一の記録」である。加えれば、両方のオールスターゲームに出場した点でも唯一のアスリートでもあった。

92年、サンダースはメジャーリーガーとしてひとつのピークを迎える。当時キャリアハイの97試合に出場すると、打率.304と初の3割台をマーク。26盗塁、54得点、ナ・リーグ最多の14三塁打ブレーブスのリーグ優勝に貢献。ワールドシリーズでは4試合に出場し、15打数8安打、打率.533をマークする。

翌93年は95試合の出場で打率.276とやや調子を落としてしまう。94年にはシーズン途中でシンシナティ・レッズにトレードされたが、2チーム合計で自己最多の106安打、38盗塁をマークして健在ぶりをアピールした。

しかしサンダースにとってこの年は、メジャーリーガーとしてよりもフットボーラーとしての実力が世界的に認められた年だった。サンフランシスコ・フォーティーナイナーズのコーナーバックとして年間最優秀ディフェンダーに選出されると、史上初のスーパーボウル3連覇を狙うダラス・カウボーイズをチャンピオンシップで撃破。さらにスーパーボウルにも出場し、優勝を果たした。サンダースはワールドシリーズスーパーボウル双方に出場した唯一無二のアスリートとなったのだった。

日本で例えれば、プロ野球とJリーグをかけもちし、日本シリーズでは1番バッター、JチャンピオンシップにはFWで出場(しかもバリバリのスタメンで)しているようなもの。その凄まじさが伝わるだろうか。

サンフランシスコは「打倒ダラス、マイケル・アービン対策」でパス守備の要としてディオンを招聘した。当時の映像を見ると恐ろしい光景がある。アメフトではプレー前に円陣(ハドル)を組み、作戦を確認するのだが、ディオンはハドルに加わらず、自分サイドのエリアで突っ立っている。ディオンのポジションはCBという守備のポジションであり、通常4名が配される。この4名が敵に抜かれれば、キーパーがいないゴールが待っているようなものだから、この4名の責任は重大であり屈指のアスリートが求められるポジションである。ディオンは通常4名でカバーする広大なエリアの半分、50%を一人で担当していた。だから作戦を聞く必要はなかった。守備陣11人でカバーするエリアの25%を1人で担当することでもあったが、それでも彼のサイドが狙われることはまれだった。ディオンがいるサイドにボールを投げることは自殺行為に等しかったからだ。

NFLの選手に送られる賛辞に「スピードが1速からトップに入る」というものがある。「常識を超えた瞬発力」。これがディオンの必殺の武器であり、まったく想定外のエリアから弾丸のように走りこみ、パスをインターセプトしてしまうのである。ただインターセプト回数のランキングの上位に顔を出すことはほとんどなかった。ボールが彼のサイドに飛んでこないからである。数字に表れないゆえに、かえってそのスゴさが伝わる話。派手な言動と併せて運動能力まかせの選手のようなイメージが伝わっているが、陰の努力も怠りはなかった。

あるコーチが相手チーム分析のビデオチェックのために朝4時に出かけると、必ずディオンが先に来ていたそうだし、ある対戦チームのレシーバー、普段は控えの選手がディオンとマッチアップしたときに「お前は、フェイントをかける最初に右肩を下げるクセがある。そこを直さないとNFLではやっていけないゾ」と指摘され「起用されるかわからない自分みたいな選手もチェックしているのか、そのクセは自分もコーチも知らなかった」と後に語っている。ディオンのフィールド上での弱点指摘は結構ほかにも聞くけれど、親切より自らのスゴさを喧伝しているような感じだ。そこがディオンらしくもあるのだけれど。

翌95年、裏切り者呼ばわりされながらもカウボーイズに移籍したサンダースは、今度はカウボーイズスーパーボウル制覇に貢献している。そのスーパーボウルで、レシーバーとしてパスキャッチ(攻撃)、コーナーバックとしてインターセプト(守備)を記録した史上初のフットボーラーとなっている。

96年はメジャーでプレーしなかったが、97年に再びレッズと契約したサンダースは115試合に出場。打率こそ.273にとどまったが自己最多の127安打、56盗塁をマークし、メジャー&NFL双方で選手としての頂点を迎える。しかし翌98年からメジャーでの活動を休止し、フットボールに専念するのだった。

たしかに「裏切り者」だが、サンフランシスコとは1年契約、それも「スーパーボウルリングが欲しい=優勝したい」を理由に破格の安さで契約したのだから、もっと高額を出す強豪チームへの移籍は当然の成り行きだった。しかしわざわざダラスに移るってのもスゴいが。ここでのエピソードは(自分の記憶が確かなら)Tシャツの下に長いソデのシャツを着るスタイルをした最初の有名人。メディアのからかいにも「スーパースターのオレのファッションはみんなが真似をするから、すぐにヘンじゃなくなるさ」とコメントした。またこの頃、熱心なキリスト教信者となり、かなり真面目な言動が増えたが、同時に「オレは今、神にはまっている」なんてことも云うので説得力が薄くもあった。ラップのCDも出したけれど音楽雑誌に「ディオンのラップよりエルトン・ジョンのキッオフリターンが見たい」とか書かれて、これはあまりヒットしなかったらしい。

2000年、カウボーイズサラリーキャップ対策でワシントン・レッドスキンズに移籍したサンダースだったが、かつての輝きを取り戻すことなくNFLから引退。翌2001年に再びメジャーのレッズと契約、ロースター入りを果たしたが、出場わずかに32試合、13安打に終わってしまう。この年を最後にメジャーからも引退したサンダースは、その後NFLの中継コメンテーターや、ミス・アメリカ・コンテストのホストなどテレビ界に活躍の場を移している。

ワシントン時代には、さすがにピークを過ぎた観があり、いろんなメディアに「ディオン限界」などと書かれ叩かれた次のゲームで文句なしの大活躍。試合後に居並ぶ取材陣に、普通の選手なら「どうだ、見たか」とか云い出すところを、ディオンは「みんなを許してあげるよ」と笑顔を向けた。さすがスーパースターだ(笑)。現役の引退も、ワシントンのヘッドコーチに就任したショッテンハイマーとのソリのあわなさで止めてしまったので、体力の限界とかではない、唐突なものだった。とくかくハイレベルのプレーと数々のエピソードを提供しつづけたディオンは現役に戻るのか。往時のようにはいかないだろうけど、まだやれそうな気がする。そう期待させてくれるほど、それくらい華(しかもど派手な)がある選手だった。

最後に彼とサッカーの関わりを。ワールドカップアメリカ大会の時のテレビCMはディオンが担当していた。たしか相手チームのパスをインターセプト(もちろん手で)し、審判にイエローカードを出されるが、そのカードに愛想よくサインをしてあげる、というものだったと記憶している。大学時代にはサッカーもプレーしていたそうなので、もしサッカーに集中していたらどうなったか、とも夢想してしまう。・・・FWだろうな、目立つし。