「沖縄から目指せJ」FC琉球、遠回りから得た財産と、すでにJFLを視野に入れた実力と。

地元紙琉球新報1月17日付より。
http://www.ryukyushimpo.co.jp/news01/2005/2005_01/050117a.html

FC琉球が九州各県リーグ制覇 九州リーグへ昇格
第28回九州各県リーグ決勝大会最終日は16日、準決勝、決勝を行い、県代表のFC琉球は準決勝で九州INAX(佐賀)を4―0で破り、今年4月からの九州リーグ昇格を決めた。続く決勝では有明SC(長崎)を8―0とまったく寄せ付けず、今大会3試合で失点0、完ぺきな優勝を飾った。FC琉球は2003年1月、前年末に方針の違いなどを理由に沖縄かりゆしFCを集団退団した選手らで結成。わずか2年で九州リーグまで駆け上がった。

第1回目の沖縄かりゆしFC集団退団は、フロントの「JFL昇格をすぐには目指せない」方針と選手の意思が食い違ったため。そして新チームであるFC琉球が結成されたが、新チームであるがため県3部からのスタートとなった。県2部、1部、九州、JFL、Jリーグと順番に上がっていけば、J加盟は早くても2008年、実に5年後。しかし県3部を圧倒的な成績で優勝し(当たり前だが)、また地域密着の諸活動が実って2万人の「昇格応援署名」も集まった。そして沖縄県サッカー協会も「飛び級」を承認し、04年シーズンは県1部に昇格参戦していた。この1年間の時間短縮という特例も、応援してくれる沖縄の人々とつかんだ貴重な勝利に違いない。

●ゼロから、沖縄から…
“沖縄からJリーグを”の理念に共感し海を渡った元Jリーガーたち。突然ゼロからのスタートを余儀なくされたが、彼らはそれでも「沖縄から」にこだわった。新チームFC琉球は県3部リーグからわずか2年で「九州リーグ」まで駆け上がった。
「ユニホームはおろかボールもなく、練習ができない状態」と元ヴェルディの望月隆司主将は当時を振り返る。「本当の意味で県民のチームを作ろうとみんなアルバイトをしながらやってきた。1日が24時間では足りないようだった」と言う。1回戦に続き決勝でもハットトリックの活躍をみせたトップ下の佐藤拓也FC東京からかりゆしを経てきたメンバー。「この2年間はつらかった。きょう勝って少し報われた感じ。もちろん最終目標はJリーグ。満足はしていない」と気を引き締める。望月も佐藤も他の選手も、次の1年でのJFL昇格を狙っている。フットサル日本代表メンバーでもある比嘉リカルドは「(2年前)J2やJFLで十分通用する選手たちが沖縄のために残った。せめてサッカーに専念できるよう応援してもらえたら」と今後のバックアップの広がりにも期待した。

JFL目前からのチームから一転して県3部からのスタート。ゼロどころかマイナスからのスタートだったと思う。サッカー選手の現役時間はそう長くない。「このチームでJに行こう・沖縄のために・応援してくれる人たちのために」など高い志に支えられていたからこそ、過ごせた2年間だったと思うけれど、リカルド選手の語るように、サッカーに充てられる時間をどれだけ確保できるか、が今後の戦いの鍵を握る要素になると思う。

●「県民型」必ずできる/野口必勝球団代表の話
何もないところから始めた私たちのビジョンに理解をくださった支援者の皆さんや県サッカー協会の方々に心から感謝します。沖縄で「県民型」のクラブは必ずできる。マネジメントをきちんとして今後も一歩、一歩上を目指していきたい。
●3つの目標すべて実現/与那城ジョージ監督
2004年2月の就任時に県リーグ優勝、天皇杯出場、九州リーグ昇格という3つの目標すべてを現実のものにしてみせた与那城ジョージ監督。8月ぐらいまで、チームとして目指すサッカースタイルを話し合った。
「うちの選手はタフでしぶとい。一人ひとりに感謝しているが、この気持ちを表すいい言葉が出てこない。ただありがとうだけですね」とねぎらう。「この1年でこの大会がベスト」と言うが「彼らだったらもっといける。去年落とした社会人大会も取りたいし、もちろん九州リーグで優勝してJFLに昇格する」と、監督の要求はまだまだ尽きることがない。

かつて沖縄かりゆしFCとして地域リーグ決勝大会まで進んだメンバーが、思わぬ遠回りを味わいながらも、それから2年間の熟成と地域密着を得て、ふたたび九州リーグに参戦です。FC琉球としては初の昇格ですが、この大会と先の天皇杯モンテディオ山形との接戦から考えても、その実力は既に優勝候補に挙げてもよいと思われます。沖縄に確実に地域密着して、多くの声援を背にふたたび九州リーグに戻ってきたFC琉球とそのイレブンは応援したいですね。