「北九州から目指せJ」ニューウェーブ北九州が「第9回北九州市長杯」詳細を発表。

ニューウェーブ北九州公式より。http://www.kitakyushu-fc.org/html/news/schedule_game2004.html#mayer09

●第9回北九州市長杯争奪 北九州招待サッカー大会
ニューウェーブ北九州の2005年最初の公式試合です。応援お願いいたします!
●2月19日(土)
12:00 九州共立大学 vs サンフレッチェ広島
14:30 ニューウェーブ北九州 vs アビスパ福岡
2月20日(日)
10:30 第3位決定戦
13:00 決勝戦
会場:北九州市立本城陸上競技場北九州市八幡西区御開) 全試合入場無料
主催:福岡県サッカー協会 北九州市サッカー協会
共催:北九州市 北九州市教育委員会 (財)北九州市体育協会
協力:三菱化学(株)黒崎事業所 新日本製鐵 (株)八幡製鐵所 (株)サンフレッチェ広島 福岡ブルックス(株) コカ・コーラウエストジャパン(株)(株)井筒屋 (株)ゼンリン

既に恒例となっている北九州市長杯のスケジュールも発表されました。Jリーグ戦開幕前のカップ戦として、地元北九州市ニューウェーブ北九州九州共立大と、J1サンフレッチェ広島とJ2アビスパ福岡とのトーナメント戦です。
かつては九州を代表した強豪チームである八幡製鉄所サッカー部の本拠が北九州市でした。栄光の八幡製鉄所サッカー部に関しては、読売新聞社西部本社の連載記事で八幡製鉄所のスポーツ部を取り上げた「鐵人魂」、その中の「サッカー部編・全7回」で詳しく綴られています。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/iron/iron_main.htm

●第1回「元祖司令塔〜上」より
攻め上がるFW杉山隆一の目の前に、計ったように絶妙のパスが届く。ボールを送り続けたのは八幡製鉄のMF宮本輝紀(故人)。杉山からパスを受けた日本史上最強のストライカ釜本邦茂がゴールを襲う――。1968年メキシコ五輪。銅メダルに輝いたサッカー日本代表の監督、長沼健(前日本サッカー協会長)は、中盤からの美しい連係が、今も鮮明に浮かび上がってくる。起点になった宮本のプレーに「キラーパスとはまさにあのこと、日本最初の司令塔。現代サッカーでも十分通用する」と語気を強める。
●第5回「草創期支えた名将」より
日本蹴球協会は西ドイツからコーチ招へいを決め、1960年、日本サッカーの基を築いたとされるデットマール・クラマーが来日した。だが、それ以前に八幡製鉄では、監督寺西忠成(故人)が、欧州の原書を読み解き、近代サッカーを導入していた。寺西は、晩年、東福岡高のコーチに招へいされ、志波芳則(前監督)を支え、「高校3冠」チームを育てた。寺西から欧州サッカーの技術の資料をどっさりと渡された志波は「攻撃は幅広く、厚く、守備はボールを奪う。寺西さんの教えは基本を大事にすることでした」。
1999年1月、東福岡は全国高校選手権で2連覇。高校でも「天下を取る」と鼓舞し続けた寺西が、力尽きたのは、その6日後だった。
●第6回「『赤い旋風』全国デビュー」より
八幡製鉄は56年の全日本サッカー選手権天皇杯)で初めて決勝進出。慶応BRBに敗れて優勝こそ逃したが、「九州の雄」として中央で名を売った。
相手は、岡野俊一郎(現・日本サッカー協会名誉会長)を擁する強豪、東大LB。試合前のミーティングで、こんな発言があった。「八幡の山猿には、負けるわけにはいかない」。漏れ聞いた、八幡製鉄の主将石川八郎は早速チームメートに伝え、闘争心に火をつけた。怒とうの攻撃で6―1の圧勝。「異常に燃えましたね」。地方のハンデに悩むチームだけに、聞き捨てならない一言だった。
●最終回「王国よ再び〜次世代の子へOBら熱烈指導」より
Jリーグ発足時、実業団チームはクラブチームに衣替えしていった。八幡にも日本サッカー協会から要請があったが、鉄冷えの街には実現しなかった。アテネ五輪を目指したU−23代表に選ばれた平山相太北九州市出身。八幡の影響で古くから盛んだった少年サッカーで育った。かつて八幡の名をとどろかせたOBたちは今、地元を中心に子供たちを指導している。新世代が「王国」を復活させると信じて。

日本サッカー界に陰日向に多くの影響を与え、優れた選手・指導者を生んだ八幡製鉄所サッカー部の物語は、通読をオススメしますですよ。
八幡製鉄所サッカー部なき後、北九州のサッカー熱を冷やさぬよう、ふたたび盛り上げるよう企画されているのが「北九州市長杯」だとか。今後もぜひ続けていっていただきたいですね。そして北九州の先人達の栄光に負けぬようガンバレ、ニューウェーブ北九州