ロッソ熊本の母体「アルエット熊本」最後の戦い。

ロッソ熊本のチーム披露パーティーに先立つ3月23日、母体となったアルエット熊本の最後の試合が行なわれました。熊本日日新聞3月26日付より。
http://kumanichi.com/lsports/20050325/kiji6.html

アルエット熊本 “さようなら”試合 「J」への夢はロッソに託す
さようなら青いヒバリ。ロッソ熊本の母体となったアルエット熊本の昨季メンバーによる“お別れ試合”が二十三日夜、熊本市の県民総合運動公園陸上競技場でひっそりと行われた。あるサポーターは「青いユニホームも見納めか。だめだ。涙が出てきた」と名残を惜しんだ。
対戦相手は熊本教員蹴友団。選手の家族ら十数人が見守った。「おれのフォローに上がってこいよ」。西村歌志主将はゴールへの意欲満々。四月から県外への異動が決まっているが「転勤先でもサッカーを続けたい」とふだん通り明るく振る舞った。
一方、エースストライカー相良利朗は「もう二十九歳。競技生活は辞めるつもり」と引退を口にした。しかし、昨季の九州リーグで得点、アシストの個人二冠に輝いただけに、国体チームの編成にあたる県協会の引き留めは必至だ。
トップ下の田尻秀一ら国見高出身者三人は母校OBが中心になったV・ファーレン長崎、MF藤田俊一は故郷のヴォルカ鹿児島に移籍。県リーグ1部のランザ熊本にも四人が移る。

ロッソ熊本に練習生として参加していた、アルエット熊本の藤田選手は故郷鹿児島のヴォルカでプレーすることが決まったようです。旗は違えど、チームを応援してくれる人たちのためにも良いプレーを。

熊本に残るメンバーで新チームをつくる計画もあるが、具体化にはいま少し時間がかかりそう。古参サポーターは「相良や西村、田尻たちがいてこそのアルエットだった。彼らのプレーは決して忘れない。ロッソがJリーグに昇格した時の開幕戦には、所属した全選手を招待したい」。しんみりとした口調で選手たちをねぎらった。

アルエット熊本でプレーしていた選手たちにサッカーをする場所を設ける計画もぜひ進めてもらいたいところです。アルエット熊本あってのロッソ熊本。ロッソの選手たちが恐れ入ることはないと思いますが、チームの源流がどこにあるのかを知り、そこに関わっていた多くの人たちから託された夢を持って、全力でプレーしてもらいたいですね。