「熊本から目指せJ」ロッソ熊本が必勝祈願。

熊本日日新聞4月5日付より。
http://kumanichi.com/rosso/kiji05/20050405.1.html

●必勝祈願 九州リーグ開幕控えイレブンが藤崎宮で
九州サッカーリーグの開幕を目前に控え、ロッソ熊本イレブンが四日、熊本市藤崎八旛宮で必勝を祈願した。選手、監督やスタッフ、運営会社アスリートクラブ(AC)熊本の幹部ら計四十人がおはらいを受けた後、AC熊本の前田浩文社長、ロッソの池谷友良監督、朝比奈伸主将が玉ぐしをささげ、リーグ制覇を祈った。
前田社長によれば「秋季例大祭の飾り馬奉納にあやかって暴れ馬のエンブレムをつくったことなどもあるが、チームにけが人が多かったので厄払いも兼ねて祈願を決めた」という。

藤崎八旛宮についてはこちらに詳しく。
http://kumamoto.e-machi.ne.jp/sh/fujisaki/
藤崎八旛宮は1000年以上の歴史を持つ、とても由緒ある神社なのですね。元々は熊本城のそばにあったそうですが、西南戦争で社殿が焼失して現在の位置に移転したのだとか。歴史を感じますね。またエンブレムの由来ともなっている「飾り馬奉納」「馬追い」はこちらなどで詳しく。
http://kumamoto.e-machi.ne.jp/sh/fujisaki/

●飾り馬奉納
もともと飾り馬は、神主が乗るためのものであった。江戸時代は本宮(今の藤崎台球場)と御旅所との距離が近かく、坂道だったので、乗馬せずに牽き馬として従えていた。そこで空いた鞍の上に飾りをつけた。それが次第に大型になり現在のような紅白または青黄などの色布で巻いた太輪の飾りとなった。
細川藩の時代には馬比べが始まり、1000石以上の武家が自慢の馬を出すようになった。その後を足軽と中間が付いていき、馬を追って駿足を競わせ、見物の人々で大層賑わった。江戸時代の版画には、その様子が描かれているが、現在の飾り馬とほぼ同じような飾りをつけている。 
明治以降は、飾り馬も町方から奉納されるようになり、現在は各団体の奉納が60数頭になり、約2万人の勢子がつき、揃いの法被姿で鉦(かね)や太鼓をたたき、ラッパをふきながら馬を追う。御旅所までの道のりは、飾り馬の集団と観衆にすっかり埋めつくされる。

http://kyushu.yomiuri.co.jp/maturi/maturi43/43_fujisaki.htm

藤崎八旛宮「馬追い」熊本市
場所:藤崎八旛宮熊本市街地
由来:例大祭放生会に起源を持ち、「随兵」の名で親しまれている。随兵は加藤清正公が朝鮮出兵から無事帰国し、兵を引き連れてお礼参りしたことが起源とされる。宮遷式、神幸行列が行われ、中でも飾りをつけた馬を、鉦や太鼓を打ち鳴らして馬を追う「馬追い」が祭りを一段と盛り上げる。

「馬追い」というので、スペインのお祭りみたく暴れ馬を街に放って、併走する男達はどれだけ近づけるを競い、最後は馬をサッカースタジアムに誘導して、暴れ馬たちとサッカーで戦うお祭りだと思いましたが、そうではないようです。(当たりまえじゃ) 

池谷監督は「J1柏にいた時はキャンプ地近くの神社への参拝をやめた途端に成績が下がった。必勝祈願は欠かせない」とすっきりした顔つき。朝比奈主将は「J2鳥栖では祈願していなかったので新鮮な気分。いよいよ始まるんだな、と気持ちが高まってきた」と話していた。

池谷監督の言葉を聞くと、今季の柏レイソルが参拝を復活したのか気になります。また朝比奈選手の言葉を聞くと、サガン鳥栖はこういう行事も行なっていなかったのだと思いますね。サガンは今季は佐賀市内の佐嘉神社で必勝祈願をしたようで、熊本同様に地域密着と神様パワーも戴いて一安心?
http://www.nikkan-kyusyu.com/cgi-bin/vi/view.cgi?id=1106399039&jl=to