ザスパ草津植木繁晴監督、中田英寿選手を語る。

先日引退を発表した中田英寿選手のベルマーレ平塚時代の恩師で、現ザスパ草津植木繁晴監督が中田英寿選手とその引退について語られています。産経サッカーWEB、7月5日付より。ちなみに「おんし」と入力すると、「恩氏」に一発変換するパソコンになっていました。
http://www.sankei.co.jp/databox/Wcup/html/0607/05soc002.htm

●ヒデ引退 育ての親・植木繁晴氏に聞く 練習、最初から世界基準
≪出会い≫
(前略)校生とプロは違う。あれだけの選手になったのは絶対に妥協しなかったことと、練習が最初から世界基準だったからだ。中学時代から代表で世界と戦い、そこで感じたものを帰っても忘れなかった。草津の選手にも言うのだが、ヒデは最初からできていた。
全体練習後、個人練習によく付き合わされた。「相手いないからボールけってよ」って。当時も同年代とつるんだりしなかったから練習相手は監督の僕だった。彼の望むボールをけるのは大変だったな。「そんなボールじゃ練習にならない」って怒られたりした。
≪クビ覚悟≫
入団当時、平塚のトップ下にはベッチーニョがいた。僕はヒデを起用した。日本人で10番タイプがいるなら育てたいと思っていた。賭けだった。負ければクビなんだよ。
(中略)
一番印象に残っているのは海外移籍した98年W杯前の出来事。突然僕のところに来て、「あと何勝すれば優勝できる?」って聞いてきた。シーズン中で出ていくわけだから、チームを優勝させて移籍したいと思ったんだろう。結構人間味のあるヤツなんだなと思った。

プロキャリアスタート時代を知る監督ならではのエピソード、代表、引退について記されていますので、全文読破をお薦めします。やっぱり早過ぎるよ、もう一度日本で、Jで、と考えてしまいますね。草津の対戦相手として敷島に現れて欲しいような、欲しくないような。