俳優、木村拓哉の試練?それとも受難?

さて、11月の『2046』での記者会見にて、カーウァイ監督は木村くんに関してこうコメントした。
http://news.searchina.ne.jp/2003/1104/entertainment_1104_001.shtml

●『2046』王家衛監督、木村拓哉の成長を絶賛(2003/11/04)
王家衛(ウォン・カーワイ)監督の最新作『2046』の記者発表会が3日、上海で行われ、王家衛監督は木村の役者としての成長ぶりを褒め称えた。
特に記者団の注目を集めたのが、木村についての監督のコメント。「彼は4年前、撮影にあたって緊張が抜けず、アシスタントやマネージャーに付き添われて、1カット撮り終わるたびロケ車の中に閉じこもっていた」と、当時の撮影状況を振り返った。
「4年経ち、彼の映画撮影に対する姿勢は変わった。今回の撮影では1カット終了するごとにスタッフと出来具合を検討し、次のシーンにどうつなげていくか自分から積極的な意見を出していた。もう彼は以前のようなただのアイドルではなく、世界に通用する成熟した役者に成長した」と絶賛。横で通訳越しに監督の話を聞いていた木村は思わず顔をほころばせた。

当時もこのエピソード絡みや降板のニュースを受け、日本の週刊誌などで「キムタクは世界には通じず」みたいな批判や揶揄もあったと記憶しているし、監督のコメントだけだと、なるほどとも思える。しかし、これは実状の把握不足だろう。
現在まで、木村くんの映画出演は「シュート!」(94)「君を忘れない」(95)の二本と意外に少ないが、テレビドラマの出演では主だったものだけでも「若者のすべて」(93)「人生は上々だ」(95)「ロングバケーション」(96)「協奏曲」(96)「ギフト」(97)「ラブ・ジェネレーション」(97)「眠れる森」(98)と、この時点でも様々な役をこなし、決して経験不足のアイドルではない。
ではなぜ「ロケ車に閉じこもる」ような事態になったのだろうか。言葉や慣習、香港流とも云われるほとんど脚本ナシの撮影方法にとまどいがあったことも事実だろう。しかし、最も大きな要素は「カーウァイ監督」だと考える。
これまでの『2046』の紆余曲折を読んでいただいた方なら既にお判りだろうが、とにかく監督の方針はすぐに変更され映画のテーマまで変わっていく。同じシーンを設定をちょっと変えては何度も撮り直すことを好み、監督のイメージやテーマが変われば、またやり直し。作品の登場人物であることが自然となるようにと、俳優の今までの実績やテクニックを否定し、たたき壊すような指導をつける。
かのトニー・レオンもNGを1日中出されつづけて追い詰められ、自宅で大泣きしたことがあるという。そして、やはりと云おうか02年より『2046』に参加したチャン・ツィイーはインタビューでこの作品は監督のイメージを重視するため脚本がないと語り、またレスリー・チャンは「ブエノスアイレス」出演後に「監督の云うことはさっぱり判らない」と雑誌のインタビューであきらかな監督批判をしている。
その「ブエノスアイレス」のアルゼンチンロケでは金銭問題もあったそうだが監督のやり方についていけず現地スタッフ陣が逃亡、香港スタッフや出演陣も大幅な滞在延期に耐えかね「一度帰りましょう」と嘆願するなど、とにかくカーウァイ監督と仕事をともにするのは大変で、香港流に慣れているスタッフや俳優陣でもかくの如き。「撮影最初の50日で仕事になったのは10日だけ」なんて談話もあった。
ただでさえ環境の違う場所での撮影にいどみ、今までの経験も否定され、スケジュールも判らない日々であったと推測できる。あの木村くんでもどういう状態であったかは推して知るべし。ただのアイドルだからうまくいかなかったのではない。カーウァイ監督と関われば、誰でもそうなるのだ。
この99年当時の経験が今の木村拓哉を構成する要素となり、カーウァイ監督云うところの「成熟した役者」となったのならば、無駄ではなかったのだろう。映画の完成も上映もまだ先ながら「キムタク過去最大の労作(苦労作?)」と演技には期待したい。