歌手・鈴木亜美の転機は必ずどこかであったはず、という話。

裁判にまでなってしまったトラブルから活動休止となった鈴木亜美。ただ、この件がなくても歌手としての彼女は遠からず転機を迎えることとなったろうと自分は考えます。先で紹介のHPで主張されている、

今の松浦亜弥がそうであるように、アイドルになる為に生まれてきたというか、デビュー当時からもの凄い『アイドルオーラー』を出していたように思います。変にアーティスティックに歌おうとせず、ずっとファーストアルバムの路線でピッチ(音程)を気にしながら可愛らしく歌っていた方が、CDはもっと売れたとはずだと思います。

シングルをリリースする度にピッチがだんだんが外れていくのが分かりますが、にくらしいことに歌自体は歌い慣れた感じになって行ってます。プロデューサーである小室哲哉から提供される曲が、そう歌わざるを得ないようなアイドルらしからぬ曲ばかりだったので、仕方ないとは言えないこともないですが・・・。

に同意です。2000年の9月に発売された「Reality」は、デビューから26ヶ月目でのシングル12曲目。当初の「まだ」アイドルらしさのある曲から徐々にアーティスティックな曲がメインに据えられていましたが、この路線はあまりフィットしていなかったと(自分は)考えます。

さりとて、今さら松浦亜弥のような正調アイドル路線の曲を小室哲哉が提供できるプロデューサーではありません。あのまま何もなければ、安室奈美恵ユーロビート→R&B路線のような路線転換を小室さんが図ったのか(引き出しは多いですから小室さん)、それとも小室さんとは別のプロデューサーに楽曲提供を依頼するような形へ鈴木亜美サイドが変わっていったのか・・・。今となればすべて想像の範囲ですが。ただ、あのままアーティステックな路線で突っ走っていっても、歌手としての幅は拡がらなかったのではないかと思えます。

いろいろなトラブルは、活動休止を招いた遠回りの要因ですが、歌手としての鈴木亜美が、この3年半で得た経験と新たな楽曲提供者によってなにを見せて聴かせてくれるのか。遠回りは無駄ではなかったと思わせてくれるような今後の活動を期待したいです。

http://d.hatena.ne.jp/toronei/20040425#1082880199
でリファをいただいたので、追記です。

色々と書きましたが、3年半のブランクは確かに失ったものは大きいという見方も出来ると思うのですが、活動休止に入った時期が結果的に『小室グループが落ち込んでいく矢先』と重なるんですよね、つまり『落ち目の小室一派』という十把一絡にまとめられなくて済んだという見方も出来るんですよね(笑)。

当時すでに始まっていた「ヒット曲の短期消耗品化」を結果的に小室哲哉ファミリーのヒットがさらに加速させたと考えています。個人的にはTMネットワークのファンなので、プロデューサー業への転換には少し複雑でしたが。その後当然のように起こる小室サウンドの沈静化の中に、あの騒動で鈴木あみが(結果的に)同一視されなかった、という副産物は確かにあったと思います。

もし三年半を失わない道を歩んでいたら、丁度今ぐらいの時期からこの先ずっとを失っていた可能性もあったなと思っています。

彼女は音楽業界全体の販売不振の初頭に活動休止になってしまい、彼女はそれにほぼ無縁で現在に到った。もし音楽活動をそのままの路線で続けていて、販売不振と徐々に活動縮小化・・・「短期消耗品」の可能性はゼロではなかったと思います。hitomiのようにまた歌手としての新たな自分を打ち立てられたかもしれませんが、当時のあの激しい流れの渦中にいた彼女が、そこに辿り着けたかどうか。

本当に期せずして「短期の消耗品」の流れから外れ、色々考えたり思ったり勉強したり行動したりして経験を蓄える時間を得た鈴木あみ鈴木亜美となった今、トラブルはすべて不運だったと捉えずに、経験を積む時間でもあったと捉えてがんばって欲しいですね。