【祝】ザスパ草津MF大谷圭志選手がJリーグ公式戦デビュー。【待望】

完敗の試合でしたが、こんな試合でも朗報も。関連エントリーはこちら。http://d.hatena.ne.jp/SH77/20050609#1118336240http://d.hatena.ne.jp/SH77/20040615#1087305699http://d.hatena.ne.jp/SH77/20041110#1100056048http://d.hatena.ne.jp/SH77/20041201#1101905464に。
東京新聞群馬県版3月12日付より。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/gnm/20060312/lcl_____gnm_____002.shtml

●大けが乗り越え プロ入りから4年 大谷圭志選手
 「神様お願いします」。そう祈って前半39分、ピッチに入った。約一年四カ月前にこのピッチで起こった悪夢が頭をよぎりそうになったが、「自分の世界に入り」試合に集中した。
大谷圭志選手(22)の約一年四カ月ぶりの公式戦、そしてJリーグデビューは突然やってきた。MFチカ選手が相手選手と交錯。顔面を強打し、試合続行が不可能になった。「圭志行くぞ」。植木繁晴監督から声がかかった。

大谷圭志が長きに渡る負傷から復帰し、遂にJリーグのピッチに立ちました。本当に、本当に良かった。(涙)

伊勢崎市出身で、前橋育英高三年の時、全国高校選手権でベスト4入りしたチームのキャプテンだったが、県予選の決勝で左ひざの前十字靭帯(じんたい)を損傷。選手権はベンチから見守った。双子の兄でアルビレックス新潟MFの昌司選手とともに、鳴り物入りFC東京に入団した。出場機会に恵まれず、二〇〇四年六月、ザスパに移籍。悲劇はその年の十一月五日、日本フットボールリーグJFL)の大塚製薬戦で起こった。相手選手と競り合い、着地に失敗。右ひざの前十字靭帯を断裂した。

FC東京のルーキーイヤーをリハビリで使い、2年目はサテライトでの出場こそありましたがトップチームデビューは果たせず。シーズン途中でJFLザスパ草津にレンタル移籍。シーズン中盤で戦術的に行き詰まっていた草津に中盤の底を安定させるアンカーとして、ミドルシューターとして加入してくれました。大谷の草津デビュー戦、故郷伊勢崎で見せた佐川急便大阪SC戦を倒した決勝ミドルシュートは今でも鮮明に覚えています。続いて愛媛FCとの直接対決となった後期第1節、大谷は中盤守備を固め、チームは0−2を5−2にする大逆転勝利、草津はこの2試合で昇格の上昇気流に乗りました。
JFLザスパ草津の後期の守備のMVP(攻撃は吉本淳)であり、J昇格に大きく貢献した大谷。終盤の大塚製薬戦でプロキャリア2度目の大怪我を負ってしまいます。彼の負傷離脱から最終節のHonda FC戦までの3試合で草津は一度も勝てず、最終的な順位が3位に甘んじたことが逆に大谷のいないチームの苦しさを物語っていました。

けがの瞬間が夢に出てくることもあった。つらいリハビリに落ち込む日もあったが、サポーターから贈られた千羽鶴や「頑張れ」などと書かれた色紙が支えになった。今でも右ひざにはボルトがはめられ、「痛くてとても動けないから」、練習や試合前には必ず痛み止めの薬を飲む。

結局昨季は一度も出場ナシ。今年のイヤーブックインタビューでは引退も考えたようですが、植木さんが監督に戻ると聞いて、現役続行を決めたのだとか。今は迷い無くプレーしているそうです。しかし右ヒザのボルトの事は、この記事で初めて知りました。それでも現役を続ける大谷ガンバレ。

「大谷圭志選手が入ります」。アナウンスされるとサポーターからひときわ大きな拍手と歓声が起こったが、「緊張するから聞かないようにした」。「自分が入ったから3点取られた感じがする」と悔しそうな表情を見せたが、同時に「(Jリーグのレベルでも)意外とできる」と手応えもつかんだ。プロ入りから約四年、やっとの思いで果たしたJデビュー。「あの時の苦しさがあるから、今はどんなことでも前向きになれる」。サッカーの神様は、まだ、大谷圭志を見捨てていない。

これからも前向きにガンバレ。たとえピッチに入るときに応援した拍手と声が意図的に聞かれなかったとしても応援するぞ(笑)