ボルトンMF中田英寿選手、現役引退を公式HPで表明。

ここのところ大きく衝撃的なニュースが続きますね。個人的には、ドイツ大会のグループリーグ敗北よりも、時代の節目を感じさせるニュースでした。スポニチ7月3日付より。
http://www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20060703068.html

●3度目W杯最後に…ヒデ現役引退
サッカー日本代表の中心選手として活躍し、W杯は開催中のドイツ大会まで3大会連続出場したMF中田英寿選手(29)=ボルトン=が3日、自身の公式ホームページで現役引退を発表した。「日本代表の顔」だった選手が、30歳を前にした若さでピッチを去る。
中田はHPで「半年ほど前からこのドイツW杯を最後に約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。プロサッカーという旅から卒業」と明かし「子どものころに持っていたボールに対するみずみずしい感情は失われていった」と理由を説明した。同選手のマネジメント事務所も同日、引退を確認した。
(中略)
長沼健日本サッカー協会最高顧問の話 本当に大きな損失だ。厳しく自分を鍛え、海外でも負けない体をつくった。4年後も十二分にやれると思うけれど…。中田英を超える選手を育てることが、日本サッカー界に突きつけられたテーマだ。
川淵三郎日本サッカー協会会長の話 全く予想だにしなかったことで驚いた。ヒデらしい鮮やかでさわやかな決断だと思った。今後とも日本サッカー界の発展に力を貸してくれるものと信じている。本当に長い間ご苦労さまでした。

J創設期に代表と日本サッカーを背負っていたのが三浦和良、カズならば、そのバトンを受け取り、背負ってくれたのが中田英寿、ヒデだと思います。本当にお疲れ様でした。
でも、こうなると「中田英寿、最後の戦い」であるブラジル戦は、もう少しヒデと代表に「武器」を持たせて戦わせてやりたかったと思います。そしてキャリアエンドでは、出発の地、湘南ベルマーレでも、故郷のヴァンフォーレ甲府でも、どこかのクラブでもう一度、Jの舞台でその姿とプレーを見せて欲しかったですね。やはり残念です。
それでもJリーグと海外挑戦のみならず、アトランタ五輪ジョホールバル、フランス大会、シドニー五輪、日韓大会とドイツ大会、そして多くの日本代表の試合で、日本サッカーと我らが代表の、素晴らしい夢と可能性を見せてもらいました。振り返ると、近年の代表の歴史はヒデの闘いの記録でもあるんですね。本当に、今までありがとう。
まだ早過ぎ、かつ惜し過ぎると思いますが「中田英寿の時代」は終わりを告げました。これからどうなるのか、誰が「日本」を背負い、牽引していくのか。ドイツで苦汁を飲んだ選手も、ドイツのピッチに立てなかった選手も、そしてまだ見ぬ次世代を担う若き才能も、ヒデや先人の背中を見て、大きく成長して欲しいですね。*1

*1:あと、草津サポとしては、J平塚時代の指導者である植木さんと、平塚と代表での先輩にして僚友だった小島さんのコメントを聞きたいですね。上毛新聞か、朝日ぐんまの伊藤さん、宜しくお願いしますです。